PCとは全く関係ないのですが最近ある悟りを開きつつあります(笑)。

人は何の為に生き、何を求めているのでしょうか?

この問いに対する答えが『一つになりたい!』じゃないかと悟ったわけです。決して新興宗教でも何かの勧誘でもありません(笑)。私が日常の中で遭遇する様々な出来事を通じてそう感じただけです。

でも殆どの人間は一つになりたい筈なのに、支配したがるんです恋愛で言えば「束縛」したい感情があり、子育てで言えば「自分のコピーを無意識に作ろうとする」んです。職場であれば、自分の考えを中心に一つに纏めようとします。

束縛される恋人も、コピーに仕立てられる子供も、自己中心的な包括的なプロジェクトに疲れ果て鬱になるサラリーマンもみんな『一つになりたい』を履き違えた人に直接関わる事でとても嫌な思いをしたりします。

そこで嫌な思いをした人も、またそれとは別の場所で多かれ少なかれ同じ様に『一つになりたい』を履き違え誰かに嫌な思いをさせていたりします。

つまり、お互い様という事です(笑)。

ここで幾つか例を挙げますね。

私は昔ロックバンドに属しておりました。勿論、アマだったしプロを目指す程の器も無かったので趣味のバンドでした。ギターで曲のリズムを刻んでいた時にベースの仲間と『ドンピシャ!』的に奏でるリズムが何とも言えないグルーブ感を出したんです。その時「気持ちいい!」と本気で思いました。一体感というやつです。

同じ様に他のバンドでも曲の後半のアドリブ展開の最中で私が仕掛けたギターフレーズに絶妙にドラムが絡んできた時の一体感は鳥肌モノでした。

バンドが楽しい理由、それはそういった『一体感』を感じた時の気持ち良さが病みつきになるからじゃないかな。

人にモノを教える時でも、自分が一生懸命に考えて工夫を凝らし理解し易い様に教えた結果、「あっ!そうなんだ!やっと分かったよ!ありがとう!」などと感謝の気持ちを体全体で表現され、両手を握られた時の嬉しさといったら病み付きでしょ。

こういった一体感や達成感というのは「その瞬間は無心になってただやるべきことをこなす」ものです。余計な事は一切考えずにただ只管…という姿勢の場合に巡りあえます。

この「無心」という状態が「やるべき事と一つになった」瞬間じゃないかと思います。

無心でなくなると、自我やそれに纏わる余計な感情と言う名の私が「一つになりたい私」を「一つに支配したい私」に変貌させてしまうのです。

最後に、
私にパソコンのイロハを教えてくれた元上司はパソコンに関してはズブの素人の私にこうやってパソコンのデータの流れを教えてくれました。今考えるとこの上司は何事も「一つになって相手の気持ちに立って感じていた」んだなぁ~と思います。

「いいかぁ~。先ずお前は3.5インチのフロッピーディスクになってみるんだ!」
「次に、今度はパソコンのフロッピードライブ(A:)に入れられたぞぉ。」
「で、初期化(フォーマット)され始めた。頭の上から足の先まで綺麗に「カタッカッタ」って掃除されているぞ。よくイメージしてみろ!」
「さぁ~、フォーマットが終わったぞ。次は●●年●●月●●日の納品データがお前に書き込まれるぞ。それっ来た。」
「あっこれは特急納期の品物だな、何とかこの納品便に間に合って良かったなぁ~」
「ん、なんだこれは?まだ納期が10日も先だし、単価の安いじゃないか!機械への差し立ては誰がやったんだぁ?ん、加藤!あんの野郎!後でとっちめてやるぞ!」

「なんて事を色々考えながらお前にデータが書き込まれて行くんだ!」

「最後まで納品データが書き込まれたら、今度はフロッピーケースに入れられて納品袋に詰められて××事業所まで納品されるんだ。」

といった様に人間の私にフロッピーディスクになってフロッピーディスクの仕事を感じろ!と言いながら仕事の流れやパソコンについて教えてくれました。私がこの上司にパソコン関連の引継ぎや教育を受けたのは延べ時間でも僅か3時間程度でした。が、ズブの素人の私は何とか業務を引き継ぎ当事使っていたNECのPC98でN88BASICのプログラムを組めるほどになったのです。

これって私が凄いんじゃなく、上司の教え方が滅茶苦茶良かったからなんですね。

何だかあまり纏まりませんが、人は何かと常に一つに成りたがっているのです。そして感じたいと思っているのです。その本当の声に素直に答えれば良いだけなのに、自我という厄介な妄想の自分がそれを曇らせ「支配」という言葉に置き換えます。

私もきっとこうだ!と思いつつ「支配」から抜けられない人間なのですが…。